For No One

パリ、東京、ニューヨークでの思い出話や日々思うことをつらつらと書いていきます。

やーめた

友達は少ないけど、自信を持って「心の友」と呼べる友人が数人いる自分は恵まれていると思う。

 

20年来の友人Mは、日本で生まれ育ち、ずっと自分がほかの人たちと同じだと思っていた。
それなのに、周りになじめなくて、だんだん自分は「周りと違う」のかも、と思いはじめた。
そこから色々考えて経験して、現在に至る。

 

私は、6歳のときにフランスへ行って必然的に「周りと違う」ことを自覚した。
表面的になじんでいても、自分に違和感を覚えていた。
そこから色々考えて経験して、現在に至る。

 

私は日本で育っていれば違ったのに、と思っていた。

 

でも、多分そんなことはなかった。

育った環境の中で芽生えて育まれる感性や価値観はもちろんあるだろうけど、
DNAのように兼ね備えた人間性が占める部分は大きい。

同じ経験をしても、習得するものは人それぞれだし、経験に左右されない価値観を持っていればそんなの関係ない。

 

日本の「群れる」性質になじめなくて、集団に同調するために保身に見えて実は自分を犠牲にすることに拒絶感を覚える、というのは、Mも私も同じだった。

きっと私が日本で育っていても、それは変わらなかったんじゃないかと思う。

あるいは、自分を偽り続けて苦痛な日々を送ることになっていたかもしれない。

 

Mにも、フランス人のママ友にも、「無理する必要は全くない」と言われて、救われた。

 

だから、無駄な時間とエネルギーを費やすの やーめた。

 

大切なものだけ大切にして、進んでいこう。

 

 

ラリーに誘われて~その2

前回の続き。

 

下々の友だちを引き連れ、ラリーの会場へやってきた。

正直、あーんまり覚えていないのだが、天井が吹き抜けになっている広いパーティー会場で、子どもたち(と言っても大学生)は1階のホールでカクテル片手に話したり、踊ったりしていた。

 

そして、シャンパングラスを片手に2階からその様子を見守る?見張る?見下ろす?きらびやかな親たち。

 

こ、こわいよう。

帰りたい。下々の友だちも同じような不安な顔つきだった。

 

でもせっかく来たんだから、一杯くらい飲んでちょっと踊って帰ろう。

 

シャルロットが挨拶にやってきた。

ラリーに入っていないと着ないようなドレスだった。

 

↓こんなの

ひえ~~~~

 

下々の友だちを紹介したら、彼女は彼氏を紹介してくれ、

「ゆっくり楽しんでいってね」と言って彼氏にエスコートされて去っていき、向こうで社交ダンスのようなものを踊っていた。

 

もう一人大学で顔なじみの女の子もいて、その子は大分出来上がった様子でクネクネ踊りながら近づいてきた。

その子は確か相手がいなかった気がするが、欲しくなかっただけかもしれない。

 

その子も60年代のハリウッドから出てきたようなカクテルドレスを着て、長いシガレットホルダーでタバコを吸い、黒いレースを顔に被せていた。

↓こんなの

すげえ。マジか。仮装パーティーじゃなくて本気で着てるのかこれ。

 

見るもの聞くもの全てが別世界で、彼女たちにとってはこれが日常なんだ・・・すごいなぁ。

と思いながら、下々の私たちは数杯飲んでギクシャク踊ってそそくさと帰った気がする。

 

その後シャルロットにラリーに誘われることはなかったが、大学で会うと挨拶はし続けた。

今頃あの彼氏と結婚して家庭を持っているのだろうか。

ラリーに誘われて~その1

熱は2日で下がりました。自宅で検査したところコロナでもなかった。

一体何だったんだろう。休肝日作れ!って言われてたのかな。

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私が通っていた大学はパリ第十大学といって、ナンテールというパリ郊外の町にある。

先日少年が警察に打たれて亡くなって大騒動を巻き起こした事件の現場だ。

大学は電車の駅から徒歩10歩とかで、時間が空いたときにクラスメートと近所のカフェへ行く以外は出歩かなかったのでナンテールのことは全く知らないが、治安があまり良くないことだけは知っている。

 

さておいていいのかわからないがそれはさておき、大学に入ってすぐ、同じ中学の子と再会した。

シャルロットという、落ち着いた感じの子だった。

中学はブルジョワだったので、シャルロットも名前からして由緒正しい家系のお嬢様だった。

不特定多数が通う、治安の悪い町にある大学で会うと、お育ちの良さというか浮世離れっぷりというか、そういうものがよくわかる。

 

お久しぶりねーみたいな感じで会うたびに話すようになり、そのうち「ラリー」というものに誘われた。

これは、中学のときから母も私も噂に聞いていた。

 

なんでも「ラリー」というものは、伝統的には貴族の子どもたちが結婚相手を見つけるために、親が仕切って開催する由緒正しい合同お見合いパーティーらしい。

昔は貴族の子どもたちは家庭教師などが勉強を教えていて、下々の者とは接点が無いまま貴族同士で結婚して子孫を増やしていたのだが、民間の学校へ通うようになったらどの馬の骨ともわからない子と付き合って結婚するリスクが発生した。そうはさせませんことよ!おほほほほ!と、貴族の親たちはネットワークとコネと金を駆使して、自分たちの子どもに最良のパートナーを縄張り内で見つけさせようと企んで始まったシステムということだ(※主観を大分含んでいるので正式な説明ではありません)。

 

社交界、と言えばイメージしやすいかもしれない。

子どもが10歳くらいのときから、成人してしばらくするまで続くらしい。

 

シャルロットに誘われてすぐに母に報告し、なぜ下々の者の代表者である私が招待されたのか2人で頭を抱え込んだ。

部外者枠があるのか?下々枠?なに?見世物?

 

なんにせよパートナーを連れてこいということだったので(下々の私が間違って貴族の息子の目に留まったら一大事だからだろう)、とりあえず彼氏も居ないので高校時代の下々の友だちを誘ったら、彼もめちゃくちゃビビっていた。

 

でも、こんなチャンス滅多にないから行ってみようじゃないか。母もどんなものか知りたくてウズウズしているし。

 

まず、服が無い。

ラリー用の服なんて、下々の者は持っていない。

かといって、ドレスなんて買ったところでもう一生着ないのも目に見えている。

おしゃれさんの母が考えた苦肉の策は、パンツスーツだった。

しかも、黒のベロア。

まぁこれもあまり今後着る機会無いと思うけど、母も私もフェミニン系が苦手なので即決だった。

誘った下々の友だちも、なんとかかんとかネクタイとスーツを見繕っていた。

 

さあ、下々の我々、いざラリーへ行かん!

 

長くなったので続きます。

 

認め合うこと

昨夜から熱があります。去年コロナになったときほどしんどくはないけど、3連休で受診も難しく、明日検査キットを買ってみようかと。

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息子が通っている幼稚園で、1人だけママ友がいる。
フランス人なのだ。
色々省略して、彼女とはカラ友でもある。私はカラオケが結構マニアックに好きなんだけど、彼女も負けてないしびっくりするほど歌が上手で、お互い気を遣わず好きな曲を好きなだけ歌えて最高に楽しい。貴重な友人だ。
 
先日久しぶりに会って歌って、その後ご飯を食べた。
ワインどうしよう、と言ったら「ボトルで頼みましょ?だってグラスで何杯も頼んだらもったいないわ。私それほど飲まないけど」
と言いながら結局私より飲むという、自分の大胆さに気づいていない彼女の性格が私は好きだ。
 
夏休みは、親族が居るカナダへ行くらしい。
私たちはこれといった旅行はせず、日帰りで出かけるくらいかなあ。
正直私は子供の頃から動き過ぎて、もう旅行には疲れてしまっているところがある。荷造りして、移動して、帰ってから荷解きして洗濯して…と考えただけでウンザリするのだ。
 
「わかるわ、私も移動は好きじゃない。娘を親族に会わせたいから行くけど、ほんとにどこでもドアが欲しい」
 
うん、実はフランスもあまり行く気がしなくて。今親が住んでいる街は私が育ったところじゃないし、田舎町で遠いし、これといって息子が喜びそうなものがあるわけでもないし…。正直自分がフランスが合わなくて出てきたから、特に息子に見せたいわけではなくて。
 
こんな風に人に話したのは初めてかもしれない。「フランスに家族がいるなんて、行かなきゃ損でしょ!」みたいな偏見に縛られていた。
 
でも、彼女にはなぜかするっと本音で話せて自分でも驚いてしまった。
 
「そうだったのね。そりゃ何の思い入れも無い町なんて息子に見せても仕方ないわよ。それに、あなたにとってフランスは過去であって、今は違う人生を送ってるんだから無理して戻ることもないし、息子は大人になってから興味があれば自分で行けばいいのよ。よくわかるわ。」
 
誰かに肯定されると思ってもいなかったことをすんなりされると、面食らう。
 
でも、そうだ。
私にとってフランスは過去で、終わったことだからもういいんだ。
 
誰かに心の底から理解されるのは、進んでいく糧になる。
 
私も誰かのそういう存在になれているだろうか。
 
ありのままの自分を認められることの尊さを、熱と共にかみしめています。

 

ビズの話~フランスの挨拶~

ちょっと重い話が続いたので、久しぶりにフランスの思い出話を。

 

フランスでは、挨拶のときにキスをする。

キスと言っても唇をつけるわけではなく、ほっぺとほっぺを合わせながら口で「チュッ」と音を出す感じ。

パリでは通常2回、左右行っていた。

Bise(複数形はBises)=ビーズ、あるいは

Bisou(複数形はBisous)=ビズ という。

仲が良い人に手紙やメールを書くときに、文末に書いたりもする。

 

どのくらいの範囲の人とBisesをするのかというと、

友だちはもちろん、友だちの友だち。

友だちの親族。

親族の友だち。

とにかく少しでも接点があれば(例えばそれが「同じパーティー会場に居る」というだけでも)、挨拶のときに頬と頬を触れ合う。

 

冬は静電気でバチッとくるので、要注意だ。

夏は夏でお互い「ベタベタしててごめんね」と言い合いながらチュッチュとする。

会ったときと、別れるときにする。

 

地域によっては3回とか4回のところがあるので、2回で済ませようとすると

「うちでは3回だから」と言ってもう1回させられたりする。

こんなとき、意見が通るのはいつも回数が多い地域の人なのはなぜだろう。

 

多感な中学生や高校生のときは、同じクラスに好きな子がいる場合毎日すごい接近できることになる。ドキドキだ。

 

たまに左右どちらから始めるかタイミングが合わなくて「おっおっ」となることもある。

 

私はこの習慣がどちらかというと好きだ。

 

友だちのすべすべのほっぺと香水の匂い。

おばあちゃんのしわしわでやわらかいほっぺとおしろいの匂い。

おじちゃんのヒゲがチクチクするほっぺとタバコの匂い。

こどものツルツルでぷにぷにのほっぺと甘い匂い。

 

相手の頬の感触や香りや温度を自分の頬で知るというのは、何の役に立つか知らないけどなんだか心が豊かになるような気がする。

話しやすくなるような気がする。

NYではキスではなくハグだったけど、挨拶のときに何かしらボディコンタクトがあるほうが健全な気がするのです。

日本は逆にちょっとでも触れるとセクハラだの下心だのという話になるし、「私、海外生活長いんで抱きつきま~す!」みたいな雰囲気を出さなきゃいけないのがちょっと面倒だし、そういうことじゃないんだよね~…。

 

文化の違い。その一言に尽きる。

 

ちなみに親子では、普通に唇を頬につけてキスをする。

朝起きたとき。学校へ行くとき。寝るとき。

 

パリ日本人学校に通っていたとき、父が毎朝車で送ってくれていて、

私はいつも父のほっぺにチュッとして車から降りていた。

それを他の子たちに見られていたらしく、私は全く気にならなかったんだけど父のほうから「ちょっと恥ずかしいからやめよう」と言われたことがある。

なんじゃい。それでもフランス永住を決めた男か!

 

そんな親とは、この歳になっても会うとキスをする。

息子はいつまでさせてくれるかなー。

 

 

 

肌のお話

漢方をめぐる旅と並行して、吹き出物対策の話も動いていた。

この吹き出物は、基礎化粧品よりも内側の問題のほうが大きいだろうと感じていたので、ある程度身体の中の循環が整ってから外側のケアをしようと思っていた。

こんなことになる前から、実は基礎化粧品に関しては長年迷子だった。

バリキャリ時代はアルビオン使ってたけど、高いよね…アルビオンのスキンコンディショナー…。

ぶつぶつ肌でもメイクはしたいので、肌にやさしい化粧下地を検索していたら、オルビスの記事にたどり着いた。

なんだか良さそうだったので、とりあえず店舗まで行って下地だけ買ってみたらすごく肌に合ったので、サイトを見たらトライアルセットというものがある。

サンプルだけだと少なすぎて肌に合うかどうかがわからないけど、トライアルセットは洗顔料、化粧水、美容液が1週間分くらい入っているらしい。早速2シリーズのトライアルセットを買ってみた。

当初はあまりにも吹き出物が多かったので、しばらくCLEAR(今はCLEARFUL)シリーズを使い続けた。

ニキビ用のジェルもあったので、それも使った。

そしたら2,3か月ですっかり吹き出物がおさまった。

それ以来オルビスを使い続けているけど、肌の調子が大きく崩れたことはなく、むしろ人生で今が一番肌の調子がいい。今まで大したケアをしていなかった分、何年か若返った気がする。

クレンジングや洗顔料の大切さも、よくわかった。

私にとってこのブランドは、救世主なのです。

吹き出物が無くなって肌が完全に落ち着いたところでCLEARシリーズからAQUAシリーズに乗り換えて、この1年くらいはORBIS Uシリーズを愛用している。当時は合わなかったけど、リニューアルしてから合うようになった。

目の下のたるみも予防したいので、アイクリーム(ジェルだけど)を使用。

アクアピーリングと酵素洗顔も週1くらいずつやると、肌がツルッツルになる。

美白美容液は高いので、無印良品で買ってます。

化粧下地、ファンデーションまでオルビス

あ、ドライヤーの前につけると髪が落ち着くヘアミルクもとてもいい。

安心して使える基礎化粧品があるのは、精神的にとても安心する。

肌の不調は、その日を台無しにするから。

もっと昔の私にオルビスを教えてあげたかった~

漢方診察

前回の続き。

 

漢方を処方してくれる内科の先生に、ちょっとこれじゃ足りなくなってきた感じがするのですが…と話したら、後輩で漢方治療をしている婦人科の先生がいるということで紹介状を書いてくれた。

漢方診察は予約が必要だったので、すぐに予約して行ってみた。

予約したのに、一時間待ち。

ま・まあこの程度は不妊治療で慣れたし大丈夫。

先生は、一目見て「合わないな」と思ったが、「漢方診察をする婦人科の先生」というタイトルには代えられなかった。

診察は問診と、手のひらを足の裏をじっと見つめられたり、舌を見られたり、お腹をごにょごにょされたりした覚えがある。

「食べ物残ってますね、消化できていませんね。」

ですよねー。

問診が、結構しんどい内容だった。

精神的なこととか、自分の感情の動きとか、自分の弱みを全部さらけ出さなければいけなくて、いささか上から目線で寄り添う雰囲気ゼロのこの先生に打ち明けなければいけない状況がなんだか情けなくて、心も弱っていたのでうかつにも涙が出てしまった。今思い出しても悔しいぜ。

ひとまず今飲んでる当帰芍薬散はやめて、もっと血と気の巡りを良くする漢方に切り替えましょう。色々なものが止まってしまっているので、とにかく今は循環させないと。

ということで、新たな漢方を2種類処方された。

効果はてきめんで、すぐに身体と心のの調子は良くなった。やっぱり専門家はすごい。

と思ってたら、受診するたびに「何かの実験かな?」と思うくらい漢方の種類を変えられた。

効くって言ってんだろー

 

結局5-6回通っただろうか。

毎回1時間以上待たされ、相性が合わないので診察後は心が重かった。当時はまだ毎晩入眠剤を飲まないと眠れなかったんだけど、その先生はため息をつきながら毎回10日分しかくれなかった。漢方は一か月分なので、全然足りないんですけどー

行くのが嫌で、いつもの内科の先生に服用中の漢方を処方してもらったこともある。

それでも半年くらい経った頃には体調は大分戻っていて、診察のときにまた漢方を変えられて「今はどんどん循環させていきましょう」と初日を同じことを言われたときに何かがぷつーんと切れて、通うのをやめた。

体の辛さが軽減された分、彼女に対する不信感が勝っていた。

そして結局原点である当帰芍薬散に戻ったんだけど、胃の異物感と喉のつかえが時折しんどかったので、薬局で胃薬を買って単発で飲んだりしていたところ、薬剤師さんが話を聞いてくれて、半夏厚朴湯(ハンゲコウボクトウ)を勧めてくれた。

既に別の漢方を飲んでいることを伝えたら、処方してくれている先生に飲み合わせがどうか確認してからのほうがいいと言われたので、内科の先生に聞いてみた。

「確かに半夏厚朴湯はいいですね。飲み合わせは大丈夫だと思いますよ、あれ~被ってる成分あったかな?一緒に見てみます?」

と、漢方の辞典のようなものを開いて一緒に成分を調べてくれた。

この先生の、こういうところが好きだ。偉ぶらないし、何でも教えてくれるし。この先生になら何でも話せる。

後輩とは大違いだということは、先生には伝えていない。

 

というわけで、紆余曲折あったけど結局今は当帰芍薬散と半夏厚朴湯のコンビでなんとかやっております。なんか調子悪いな、と思う日はお昼に飲み忘れたりしているので、効いているんだなぁと思います。

内科の先生に、「漢方やめるタイミングっていつですか?」と聞いたら

「更年期が終わるまでです」と言われたので、まだしばらくお世話になりそうですー。

 

次回はお肌編です。