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For No One

パリ、東京、ニューヨークでの思い出話や日々思うことをつらつらと書いていきます。

妊娠話

妊娠したことを周りに報告すると、みんな聞かなくても色々な話をしてくれる。

経験者たちは自分の話を、そうじゃない人たちは周りの人の話を。

参考になるかどうかと聞かれたら正直ならない。妊娠は本当に人それぞれで、私はつわりも皆無で今の所比較的楽な妊娠生活なのでなおさらかもしれない。いつ炊きたてのご飯の匂いがイヤになるかな?とちょっと楽しみにしていたら、いい匂いのまま現在妊娠7ヶ月目です。

妊娠初期はホルモンバランスがジェットコースターなので、どうせ該当しない経験談が煩わしく思えて、もう誰の話も聞きたくない!と思った時期があったけど、最近は単なるネタ?として少し距離を置いて聞くことにしている。特にあれが痛いこれが辛いっていう話はお互い何のメリットも無いから、聞き流すようにしている。

本当に何か知りたかったら、今のご時世ネットで検索したほうがよほど正確な情報が手に入る。

というわけで、ネタ的に面白かった話をいくつかご紹介します。

 

その① - 若い頃はやんちゃだった三児の母の話。

「一人目を生んでからタバコを再開したんだけど、ある日吸ったらすごくまずく感じで、ついに肺がんだ!と思って暗い気持ちで病院へ行ったら2人目の子を妊娠してたの」

その人は今、もうタバコは吸っていません。

 

その② - フランス在住の母と同じマンションに住む女性、二児の母の話。

彼女はもともと結構体が大きくて、妊娠したらさらに大きくなるので妊娠後期が非常に辛かったらしい。ある日会社帰りに検診に行ったところ、また重いお腹を引きずって帰宅して会社行って…と想像するともう我慢できなくなったので、「今日産みたい」と先生に言ったら、たまたま分娩室に空きがあったのでそのまま産んできたんだって。なんと2人目もそうやって会社帰りに思いつき?で、産んだとのこと。無痛分娩が当たり前のフランスだからまかり通る話なのかもしれないけど、そんな簡単に産んじゃうなんて旦那さんも相当びっくりしたことと思う。

 

その③ - 学生時代からの友人、一児の母の話。

フランス人の育児は結構ストイックで、大人と子供の線引きがとてもはっきりしているため、ぐずったり暴れたりする子供を大人が笑顔で見守るというイメージが無く、小さいときからみんなおとなしい。1歳半の友人の息子もとてもいい子で、居酒屋で大人たち(=両親)が飲んでいても静かに串焼きのブロッコリーなどをかじっている。その子は既に寝室は親と別のようだったので、「いつから別なの?」と何気無く聞いてみたら「3ヶ月から」と言われてぶったまげた。3ヶ月って首すわってましたっけ?私も何歳になってもお母さんと一緒に寝る子にはしたくないから早くから一人で寝かせようとは思っているけど、さすがに3ヶ月はちょっとスパルタかと。

「最初は鳴き声を聞いて心が引き裂かれる思いだったけど、2週間もすると慣れて泣かなくなった。夫婦の時間を大切にしたいから仕方ない」ってオイオイ、十代じゃあるまいし夫婦の時間ちょっとは我慢しろよ、とさすがに思ったのでした。

そんな彼女は最近仕事でフランスから東京へ来たのだけど、船便で私のためにマタニティウエア、授乳用の服、赤ちゃんの服、おもちゃ、哺乳瓶などなどを一式送ってくれて今週末届けてくれる。センスが良い人なので安心だ。話を聞いていると、消耗品以外はもう何も買う必要無さそうなくらい送ってくれたみたい。ありがたや、ありがたや。

 

 

突然の出来事

妊娠までの経緯を絶賛回想中だけど、これを書かないと進めない気がするので最近の出来事を書こうと思います。

前職は派遣だったが、とある経営大学院で働いていた。そこには英語プログラムがあり、世界中(と言っても主にアジアだったけど)から学生が来る。私は彼らのインターンシップ先や就職先を見つけるサポートをするキャリアチームに所属していた。

私自身大学院を通してフランスから日本へ戻ってきて、インターンシップ先に就職したので、派遣なのにそのときの経験を生かすことができたのはラッキーだったと思う。10年間以上アパレル一本でガツガツ働いてきたので、路線を変更するために派遣という道を選んだけど、このまま教育畑で続けることもできそうだな(続けたくないけど)、と思った。

先日、その大学院の卒業生が亡くなった。

状況を把握するのにも時間がかかった。F⚫︎cebookで共通の知り合い(主に卒業生)がやたらと彼の写真を投稿していて、ある教授が彼について意味深な投稿をしていて、まさか…と思い本人のページへ行ったら、友人が代理で彼が先日スノーボードの事故で亡くなったことをコメントしていた。

信じられなかった。というのは、彼は家が近所で、見かけることが頻繁にあり、彼が亡くなる数日前にも商店街で見かけたばかりだったからだ。

 彼とは飲み会の後に一度一緒に帰ったときに話しただけで、特に仲良くしていたわけではないけど、学校(=勤務先)で会うたびに気さくに話しかけてきた。一度会った人の顔と名前は忘れない、実業家タイプの人だった。

情熱の赴くままに生きるような人で、触るとピリッとしそうなほど常にエネルギーを120%放出していた。彼のSNSページを見る限りでは、死を宣告されるほどの難病を乗り越えた経験があるようで、それで余計「今を生きる」オーラが強かったんだと思う。

そのオーラに近づくとなんとなく私の心がざわついてしまうので、街中で見かけてもわざわざ引き返したりそのときやっていることを中断してまで声をかけに行くことはしなかった。

最後に見かけたときも、そうだった。

彼が亡くなったことがわかったとき、咄嗟に「あのとき話しかければよかった」と思ったけど、果たしてそうだろうか、と時間が経った今では思う。そこまで仲良くなかったし、そこで世間話をした思い出を作っていたところでこの空虚感は変わるわけではない。

ただただ、先日あの肉屋の前で電話していた彼が今はもうこの世にいない、という事実を考えるとやりきれなくて夜寝られなくなる。

彼は友人数名とスノーボード旅行へ行っていて、その日は単独で行動していたらしい。木にぶつかって胸を強打して倒れているところを、別のスノーボーダーが数時間後に発見して、病院に搬送されたときにはもう亡くなっていた。

まだ小さい娘2人と奥さんのことを思うと、本当に心が痛むのと共に、毎日が奇跡だということを、改めて思い知る。

心からご冥福をお祈りします。

妊娠に至るまで ④ 〜不妊治療〜

不妊治療の詳細については、たくさんの方々がものすごく細かくブログに書いているので、印象的だったことだけ書こうと思います。

 

初診は夫も検査を受けるので、朝10時の予約に一緒に行った。

待ち時間が長いのはお互い覚悟していたけど、12時を過ぎても名前を呼ばれなかったときはさすがにちょっと不安を覚えた。誕生日だし、終わったらランチ何食べようかな〜なんて考えていた私は超甘かった。

13時過ぎにやっと名前を呼ばれ、お互い一通りの検査が終わって、やっと最後に先生の説明を聞いている最中も、

「ごめんなさい、移植が入っちゃったので20分ほど待っててもらっていいですか?」と、待合室に戻されたりもした。

別にもう合計4時間近く待ってるからいいけどね。ていうか移植ってそんな簡単にできるのか。

待っている間、主に携帯ゲームで時間を潰していたので、夫も私も携帯の充電が20%を切っていた。

結局クリニックを後にしたのが、15時。

そう、5時間かかりました。

不妊治療、あなどれない。。。

 

次の通院からは会社を休んで平日の午後などに行っていたので、そこまでひどい待ち時間ではなかったけど、2ヶ月間通った結果、2時間やそこらの待ち時間じゃビクともしなくなった。その忍耐力は今の産科でも大いに役立っている。

 

初診のときに、「とりあえず今回は自然なサイクルで体外受精してみましょう。生理3日目に始めますから、生理が始まったら予約してくださいね」と言われたら、体が非常に素直に反応して翌日生理になった。時間を無駄にしない気満々だ。

 

流れとしては、以下の通り。

  • 生理3日目検診→正常に排卵しそうかどうか調べる
  • 排卵日の2、3日前→採卵日まで排卵するのを抑える座薬と鼻スプレーを処方され、きっちり指定の時間に服用する
  • 排卵日→採卵。この日は夫も同行し、精子を採取。培養士の説明を受ける
  • 排卵+1日→電話で受精確認
  • 排卵+2日→血液検査で問題がなければ移植
  • 排卵+10日→採血で着床判定
  • 5日おき〜妊娠8週目(心拍確認)→内診、ホルモン剤処方

通院するたびに万単位でお金がかかり、採卵と移植のときは十数万ボーンと取られ、妊娠8週に入り産科へ移る(=クリニック「卒業」)際には成功報酬でさらに数十万ボーンと取られる。

料金メニューは年齢によって3段階に分かれていて、年を重ねるごとに1回ごとの治療費が高く、成功報酬が低くなっていくというえげつないもの。私は真ん中の段階だった。

私たちは幸いにも一回で全てうまく行ったけど、採卵や移植でうまく行かなかった人たちはまたそこからやり直しで、それを繰り返している人もたくさんいるわけだ。何回もやれば割引になるわけではない。何度も言うけど、少子化って文句言ってんじゃねーぜ、日本…。

 

治療中苦痛に感じたのは、採卵だけだった。

採卵にかかる時間はほんの5分くらいだけど、まあ痛いのなんのって。手術台に横になったら看護婦さんが手をものすごく強い力で握ってきたので「なにすんのさ!」と思っていたけど、それがものすごく救いになって、爪痕が残ってしまったんじゃないかと思うほど看護婦さんの手にしがみついてしまった。久々に変な汗が出た。

あとは移植なんて卵をチョンと入れるだけなので、手術台に居たのは1分くらいだったような気がする。

移植の数日後「血液検査によると、ちゃんと着床してますね〜」と言われたときもピンと来なかったし、妊娠8週で先生に「あ、心拍見えますね〜、白くピコピコしてるの見えます?これが心臓ですよ」と言われても何が何やらわからなかった。

でも卒業の日、やっと先生に笑顔で「妊娠おめでとうございます、これからが大変ですが頑張ってくださいね」と言われたときにじわっと実感が湧いた。

ナースさんに産科決まってますか?と言われ、既に見学して決めていた病院の名前を伝えたら「私もそこで産んだんですよ〜、でもあそこ待たされるから気をつけてね」と言われたので「待ち時間はここで慣れたので大丈夫です」と返事したら「そっか、そりゃそうよね!」と笑われた。

とにかく、まだ実感無いけど晴れて妊娠だ!本格的に禁酒だ!禁煙だ!

仕事辞めるぞ!

A suivre.

妊娠に至るまで③ 〜親に報告〜

予定通り9月に10日間、夫と2人でフランス(ディジョン)で過ごした。

治療が始まったらお酒が飲めなくなる(かもしれない)ので、悔いのないようこれ以上飲めないだろ、というほどワインを飲みまくって、美味しいものを食べまくった。母は一滴も飲めないので飲むのは父と夫と私の3人だけど、家呑みだけで8日間で13本空けた。食事の半分くらいは外食で、毎回平均3人で2本空けていたので、もうどれだけ飲んだか考えたくもない。

アルザス地方へも泊まりがけで旅行して、天気にも恵まれ充実した里帰りだった。

とりあえずは母と2人きりのときを狙って、治療の話をしたら、母の口から腰が砕けるような情報が。

「いいんじゃない?日本はお金がかかるだろうけど…こっちは保険でカバーされるからね」

 

な・な・なんだと!!!!!

 

「だからこっちへ駐在で来る日本人の奥さんとか、ほとんどみんな治療して子供作ってるわよ」

 

日本でも条件をクリアすれば30万円ほど戻ってくるけど、最低限かかる金額の半分以下でしかない。少子化が聞いて呆れるわ…。

 

そして、母はこう続けた。

「お父さんがね、いつか機会があったら伝えとけって言ってたことがあって。あなたたちは結婚もそんなに早くなかったし、子供が居なくても幸せな夫婦生活を送れるんだから、もし授からなくてもそのことを気に病む必要は全く無いって。でもまあ、治療する気になったのであれば、やれることはやるといいと思うよ」

なぜ私の親に報告しておきたかったかと言うと、以前父からいただいたおこづかいを治療費に当てるつもりだったからだ。

良い親の元に生まれて、私は幸せ者だ。ありがとう。治療頑張るよ。

 

そして父にも報告し、清々しい気持ちで夫と日本へ戻った。

いざ、クリニックへ。

A suivre.

 

妊娠に至るまで② 〜情報収集〜

不妊治療経験者の友人は、何年間も治療をしたのに結局実らなかったにも関わらず、快く自分の経験を包み隠さず話してくれた。

治療の手順。通う頻度。料金システム。治療中の心の動き。

私には想像もつかないような辛い思いをして、目の玉が飛び出るような高額を投資して、それでも授からずに治療を続けている人たちと同じ場所に通うこと。

仕事を辞めてしまうと治療のことばかり考えてしまうから、妊娠するまでは仕事は続けたほうがいいこと。

毎回凹んでいたらキリがないから、ある程度距離感を持って治療に挑むこと。授からなかったときの心の切り替え方を考えておくこと。

待ち時間が長いので、覚悟しておくこと。

その友人は体の限界がきたので治療はやめ、養子縁組に切り替え、数年間の手続きを経てもうすぐ赤ちゃんが家に来ることになっている。本当によかった。

 

彼女が通っていたクリニックが、強い薬で無理矢理卵を増やしたりしないし、あまり大きくないので「工場」感が無く対応が良さそうだったので、そこに決めた。やっぱり知っている人が経験している場所のほうが、こういう場合は特に心強い。

初診だけはネット予約制ということで、行けたらすぐに行こうと思っていたのに、予約が取れたのは2ヶ月後。話は聞いていたけど、やっぱり需要が高い治療なのね。(供給が少ないという言い方もある)

たまたま自分の39歳の誕生日に初診の予約ができたので、これも何かの縁だと思った。その前に結婚以来初めて夫と2人でフランスに住む両親に会いに行く予定だったので、その時に自分の親には治療のことを話しておこうと思った。

A suivre.

妊娠に至るまで ① 〜焦り〜

みなさんブログ書くときって構成を事前に考えてから書いていますか?私は行き当たりばったりなので、①と書きつつ何番まで続くか見当もつきませ〜ん。

*********

夫との出会いの話はまた別の機会にするかもしれないけど、出会ったとき私は35、夫は38。3月に出会い、5月に付き合い始め、9月に同棲を始め、12月にプロポーズされ、翌年の2月に入籍したのでそんなに時間を無駄にしていないけれど、入籍1年目で挙式をしたときは私は36で夫は39だった。

子供は授かれば欲しいと思っていたけど(多分夫の方が欲しい気持ちは強かったと思う)、出会ったのも遅かったし、2人ともワイン好き・喫煙者・美味しいもの好きなので、しばらくは2人の生活を楽しみたかったので、積極的に子作りに励んではいなかった(つまり基礎体温を測ったりタイミングをとったりはしていなかったということ)。何よりも自分の結婚式のときに妊娠してワインが飲めない、なんて事態は絶対に避けたかった。

挙式後結構すぐに、「そろそろ子供を作りましょう」「でもお互いあまりプレッシャーをかけずにやりましょう」ということになり、授かれば嬉しい、程度の子作りモードに入ったものの、2年間一向に授からないままだった。

これはさすがにマズイと思い、フルタイムでバリバリやっていた仕事を派遣に切り替え、きちんと基礎体温を測って生活してみたものの、状況は変わらず。

お互い心のどこかで「きっとすぐにできるはず」と思っていたので、ショックだった反面、お互いお酒飲むしタバコも吸うしやめるつもりないし…。そして何よりも、年齢。私が知っている人の中で一番遅い初産は43歳だけど、その人は旦那さんが年下だ。うちは夫が年上だ。関係あるかどうか知らんが、とりあえず40歳になる前に、できれば産みたい。

そこで当然ながら脳裏をよぎったのが、不妊治療。

どちらかに問題があるかもしれないので、それだけでも知りたいと思った。東京都内のクリニックはそんなに数があるわけではないけど、ネットの口コミを読んでもピンと来ないし、なんだかどれを読んでも辛そうで決められなかったので、前の職場で治療を何年間も続けた経験がある知り合いに声をかけて、去年の8月に相談に乗ってもらった。

 

A suivre (続く)。

あわわ

またやってしまった。何ヶ月更新してないんだーぁ。

今までも繰り返した失敗、「自分で決めたブログの枠組みが窮屈になる」症候群。

そう、思い出話じゃなくて日々のどうでもいいことを書きたくなることもある。でもまだ回想は中学時代で止まってるしな…ま、別に今日思ったことは書かなくていいか、かと言って回想のネタは中・高すっ飛ばして大学時代のことしか思いつかないし、じゃあ今日はいっか〜

なーんて言ってたら半年以上経ってるよ。もうあきらめて近況を書きます。フランスの話を期待して来ている方々、申し訳ございませんがフランスネタはたまにしか出てこなくなるかと思われます。

中学からかいつまんで経過を説明すると、高校・大学とパリで過ごし、日本へ戻りたいがために「日仏経営学院」というもの好き向けの大学院(レンヌ第一大学付属)に入り、めでたく東京で就職しそのまま引越し、せっかく念願の東京で勤めたのに5年後には赴任でニューヨークへ渡り、2年の予定が4年間過ごし、男に捨てられ日本へ帰国し、転職して運命的な出会いを経て今の夫と結婚し、現在日本在住6年目。

もっとかいつまむと、私は生まれてから千葉→パリ→レンヌ→東京→ニューヨーク→東京と移動してきて、今後はそんなに移動する予定はない。

もう、移動は疲れた。仕事の出張であろうが住む場所であろうが旅行でさえも、移動に時間をかけるくらいだったら箱根でゆっくりすれば十分幸せだと思ってしまう。

一人のときは、寂しさや興味や退屈や自己満足や世間体など、色々なものを満たすためにとにかく毎日新しいところへ行って新しい人と会って新しいことをして新しいものを食べて、SNSで拡散して、ということに命をかけてたような気がする。

でも、今は家で夫と一緒に何もしないことが一番のゼイタクになった。

ハタから見ればつまんないだろうけど、それもどうでもよくなった。

 

そして何よりも価値観が180度変わる出来事が。

妊娠したのだ。

というわけで、しばらくそれにまつわる話をしようと思います。A suivre(続く)。