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For No One

パリ、東京、ニューヨークでの思い出話や日々思うことをつらつらと書いていきます。

勉強なんて

6歳のときに、父の仕事の都合でフランスはパリへ引っ越した。
そして、アジア人が一人も居ない公立の現地校に放り込まれた。
あまり疑問に思ったことがなかったけど、夫に「なんで日本人学校に入れなかったんだろうね」と言われて、ハッとした。
自分たちも仏語がままならないのに、確かに親は相当大胆な行動を取った。
次回会ったら、一体何を考えてたのか是非聞いてみようと思う。

現地校での話はまた後日するとして、とにかく当初は父の任期が5年だったので、私が小5くらいになったら日本へ戻る予定だった。

なので、日本へ戻ったときに授業についていけないと困るから、ということで、
小学校3年生から日本人学校へ通い始めた。

ところが5年経ったら日本へ戻らないと言い出し、
公務員だった父がまさかの40歳で自動車業界へ転職。

それならば、ということで、小6の一学期でまた現地の中学校に転校。
結局私は入学式も卒業式も経験しないまま高校、大学、大学院とフランスの教育システムの中で過ごし、色々はしょって現在に至る。

ちょうど環境や授業に慣れてきたころに「ごろり」と文化も言葉も違う場所へ3度ほど移動したので、勉強ははっきり言ってできなかった。どちらもブランクが長すぎて、ついて行けなかった。

小3で日本人学校に入ったとき、もちろん漢字なんて読み書きできるわけもなく、
テストは毎回0点。ニュース的に言えば「ズィーロー♪」だ。

それを私が気にして心を病んでしまうのを恐れた母は、
「ずっとフランスの学校へ行ってたんだから、0点で当たり前なのよ。
気にしないでいいのよ!」と、切実に私に言い聞かせたらしい。

それを素直に聞いた私は、毎日帰宅すると
「ただいま〜!今日もれいてんだったよ!」
と、無邪気にテスト用紙を片手に報告すること数ヶ月。

さすがに危機感を覚えた母は、「点数を取ればおこずかいアップ」制度を導入したところ、
瞬く間に国語が5になったというしっかり者の私。

もともとは、現金文系なんだと思う。

だけどまた中学で現地校へ戻ったとき、仏語の文学なんてついていけるわけもなく、算数の教育は日本のほうがずっと進んでいたので、そのまま成り行きで理系に進んだ。

高校では、間違って一番成績の良いクラスに入ってしまい、
高3のときには先生全員に「こいつは絶対留年する」と言われるほどビリから2番目だった。

でも結局、授業では受験(※厳密に言うとフランスでは受験ではなく、高校卒業試験)勉強のかなり先を行くエンジニア系のことを教えていたので、途中から私は学校へ行かずにビリの子と二人で家で受験勉強をするようになった。

ら、余裕で受かったもんね、ざまーみろー!

色々環境のせいにしようと思えばできるけど、
つまるところは私は勉強があまりできないんだと思う。

だけど、勉強するのは全く嫌じゃなかった。
親に「勉強しろ」と言われたことは一度もないし、
受験勉強のときは母に
「あなたそろそろ勉強やめたら?」
と言われるほど根詰めてやってた。(←負けず嫌いのパワー)

こんな私でも、ちゃんと就職してきちんとバリバリ仕事して、
もしかしたら高校時代めちゃくちゃ頭が良かったクラスメートよりもキャリア的には成功したのかもしれない、と思うと、
学校の授業の内容自体はあまり意味なかったな、と思う。

これからしばらく生い立ちのエピソードを書き散らかします。