フランスへ行く前の記憶は、あんまりない。
フランス行きの飛行機では、経由地だったアンカレッジで外人のお姉ちゃんたちが雪合戦をしてくれたことはなぜか鮮明に覚えてる(ってことは、外に出られたってことか)。
パリについてから数ヶ月間は、16区のPassyでホテル住まいだった。
その頃の記憶もあまりないけど、大きな窓から吹き込んでくる風で揺れる白くて薄いカーテンと、
粉砂糖が無いからヨーグルトに角砂糖を入れて、溶けるまで待ってから食べていたのは覚えてる。
そのヨーグルトが、すごく酸っぱかったことも。
最初に住んだのは17区のPorte Maillot、凱旋門の裏だった。
家を出て少し歩くとに大きな彫刻が中央にある広場があって、
そこにパン屋、チーズ屋、カフェなどあり、
その先の道をまっすぐ行くと小学校。
そこをさらにまっすぐ行くと教会があり、そして大通りAvenue des Ternesに出る。
今でも落ち着いていて上品な界隈だ。
(家の向かいはなぜか高級連れ込み宿だったが)
家のそばに、ディズニーの映画しか上映しない映画館があった。
毎週水曜日になると、母と二人でそこへ映画を観に行った。
バンビ、シンデレラ、白雪姫、ファンタジア、わんわん物語。
今のよりも、当時のディズニー映画のほうが夢があったと思う。
父も慣れない場所での仕事は大変だったと思うが、
職場では他にも日本人駐在員や、 日本人のローカルスタッフもいた。
言葉もほとんどできない状態で、 6歳の私の世話をしながら主婦業に慣れなきゃいけない母は、 相当大変だったろうと思う。
母は、フランスへ行く前は英語の教師などもしていたので、
1年目はとりあえず全て英語で通したらしい。
2年目からは、 フランス語が少しずつ入ってくるにつれ英語をその分忘れ、
その結果しばらくどっちもできなかったらしい。
その結果しばらくどっちもできなかったらしい。
そして、3年目くらいでフランス語のほうが楽になったらしい。
今の母は、それはもうおもしろいくらい英語ができなくなった。
数年前私が里帰り中に、 フランスのスーパーでアメリカ人観光客らしきマンマが話しかけて きたとき、
(アジア人だから英語ができると思ったんだろう)
母は何も答えられず、本当に「アワアワ」と言っていた。
人間焦ると本当に「アワアワ」と言うのだな、と思った。