For No One

パリ、東京、ニューヨークでの思い出話や日々思うことをつらつらと書いていきます。

コンプレックス

このバイオリズムの低下は、気候のせいなのかトシのせいなのか考えてしまう今日この頃です。

てことで、中学話の続き。

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Dupanloup中学校は、私立ということもあり、そして高級住宅街だったこともあり、本当に良いところのお坊ちゃん、お嬢ちゃんが多かった。

名前に「De」とか「Du」とかがつくと元貴族(という可能性が高い)ということだけど、そんなのゴロゴロいた。意味としては、英語の「of」なので、「xx家の」みたいな意味になるのかな。

その中でも忘れられない苗字があるんだけど、ググったらご活躍されている方だったので説明だけにしておきます。

そのDuとかDeが一つついてるだけでもハクがつくのに、二つついている子がいたのだ。

なんとなく英訳すると、「(名前)of the wood of xxx」ということになる。「xxxの森の(名前)」ということで、まるで「眠れる森の美女」じゃないか!!と、当時衝撃を受けたのを覚えている。

当然みんなお金持ちだったので、12、3歳で持っているものは本物だった。Timberland, Clarksの靴や、当時流行っていたAGATHAのジュエリーは当たり前。あ、シマロンのデニムと、シャプリエのバッグも。ヴィトンのバッグやモンブランの万年筆を持ってる子も居た。(前に書いたけど、当時のフランスの学校では万年筆でノートを取っていた。今はフリクションが大流行りらしいけど)

私はAGATHAのクマや犬のペンダントヘッドはギリギリ買ってもらえたけど、靴は無理なのでフェイクを履いていた。でも、今考えてみるとあの年齢で「本物」を間近で見ていたという経験は、後々そんなに欲しくならなかったという点では良かったのかもしれない。(中学でみんな使ってたしな・・・と思うと、それにお金を使う気にならないんだよね)

って、物理的な話になってしまったけど、今回のポイントはそこではない。コンプレックスの話だ。

私の持論は、欧米人の「美しい時期」は10代前半であるということ。そのあと低迷期に入り、再び輝くのは30手前くらいからだと経験上思っている。

日本人は、ハタチを過ぎてから「美しい時期」が来ると思う。

何が言いたいかというと、中学の同級生が「べらぼうに美しかった」時期、私は「人生最高にブチャイク」だったと思うのだ。

ニキビができ始めた肌、むくんだ顔、太い足、手足に生える黒い毛(同級生はブロンドが多かったし、黒髪でも手足の毛は産毛のように細くて目立たなかった)。それに輪をかけるように、私は11歳で歯を矯正していたので、口を開けると銀色のブリッジが光り輝いた。ほんとに笑っちゃうくらい、絵に描いたようなブチャイクちゃんだった。

それにひきかえ同級生のキラキラしていたこと!

透き通るように白い肌、無造作にまとめた髪、細く長い首、スカートから伸びるすらりとした足。そして香水の良い香りがしたし、メイクもしていたのでフェイスパウダーのアダルトな香りなんかもした。

そんな早熟なもんだから、もちろん彼氏ができたり、ちょっと太っちゃったからダイエットしてるのぉ、脂肪分ゼロのヨーグルト超おいしー!なんて言ったりしていた。

そういったキラキラ族は別に私のようなブチャイクちゃんを仲間外れにすることはなく、私は校庭でそのようなキラキラ話を眩しい目で(そして他人事のように)聞いていた。

でも、どこにでも「流れに乗れない族」は居るもので、私は「モテない族」男子3人と一番仲良くしていて、家に遊びに行ったりボーリングへ行ったりしていた。今考えるとなんで私があそこに居たのかよくわからないが、それはそれで楽しかったし、まだ連絡を取り合っている子も2人居る。

 

キラキラ族の中でひときわ目立っていたのが、セシルとキャロリーヌという女子二人だった。容姿もお家柄もピカイチで、男子も全員ひれ伏し、怖いものなし。先生たちも彼女たちが騒いでいても比較的注意しなかった。(寄付金とかあったのかな)

私が大学に進学したとき、通学中にそのセシルと一度会ったことがある。

当時は卵のようだった肌はニキビだらけで、服装は穴だらけの汚いグランジ系。それに見合ったかなりどうしようもなさそうな男と電車の中でイッチャイチャしていた。

私に気づいたセシルは近づいてきて気さくに挨拶してくれ、そのあとまたチャラ男とイッチャイチャしに戻った。

なんだか夢が壊れたような気がしたけど、お嬢様もお嬢様なりに反抗しているんだなあ、と思ったのでした。

で、ちなみに自分が「ブッチャイクな時期」から脱却できたのは、23、4のときくらいだったかなあと自覚しております。