For No One

パリ、東京、ニューヨークでの思い出話や日々思うことをつらつらと書いていきます。

アイデンティティー

2007年の夏、私は当時働いていた某アパレル企業の赴任でニューヨークへ行った。

それまでは出張で何度も行っていたけど、住むとなると全く別物で、日本支社からNY本部への「逆輸入」赴任だったので日本人の同僚も一人もおらず、最初の数ヶ月間は色々な意味で苦戦した。

そのエピソードはまた追って書こうと思っているけど、とりあえず着いた瞬間に強烈に感じたのが「ああ、私はやっぱりフランスが好きではなかったんだな」ということだった。

フランスでは、私がフランス語ができる前提で話しかけてくる人は少なかった。どれだけそこで育ってフランス人の心を持っていても、いつまでたってもフランスでは自分を「よそ者」だと思わずにはいられなかった。

だからNYでデリへ行って店員さんに当たり前のように英語で話しかけられただけで、「私はここに居ていいんだ」と感じて、それが嬉しくて、心が震えたのを忘れられない。NYという街はみんなのものであり、誰のものでもない。
でも、「認められた」人しか住めない、本当に不思議な街だった。

 

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先日、久しぶりに不特定多数のフランス人の集まりに呼ばれた。学生時代からの友達で、今はフランス大使館で働いているKちゃんのサプライズバースデーパーティーだった。

場所は彼女の上司の家で、彼は日本へ来る前にタイに居たこともあり、全体的にエキゾチックな内装だった。

おしゃれな界隈の広い広い家に、靴のまま入る。

 

生活感の無い、センスあふれるインテリア。
手元が見えるギリギリの間接照明。
ウィットの効いたジョーク(皮肉とも言う)を交えた、文化的な会話。
次から次へと注がれるシャンパン。
日本に住んで何年も経つのに、一言も日本語を話せない人たち。

 

う〜ん、ムリ!!!!!
やっぱり、ムリ!!!!!
今思い出して書いてるだけで心がズーンと重くなるくらい、ムリ!!!!!

 

私の結婚式以来会っていなかった、もう一人来ていた同級生に、

「きみが子供産んで仕事をスッパリ辞めちゃうとは思ってなかった。僕の妻(日本人)は産んですぐに働きたくて仕方ないって言ってたから」と言われた。

・・・でしょうね。当時の私からは想像つかなかったでしょうね。

 

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要は、私はNYから戻ってきてからの7年間でとっても「日本人的」になったのだ。
それを先週くらいに自覚してから、モヤモヤが消えてとてもすっきりした。
それまでは、友達の言動にただただ動揺したりイラついたりしていた。

子供用のお下がりを段ボール複数分くれたのはいいけど、穴があいてたりシミだらけだったり擦り切れていたりで半分以上使い物にならなかったこと。

自宅にランチに呼ばれて、前日に「何時頃行けばいい?」と連絡しても返信が無いこと。

息子が生後5ヶ月だった極寒の週末、お互いの子供を連れて新宿御苑へ行こうと誘われ、「先週長い散歩へ連れていったらしばらくお腹を壊してしまったのでちょっとやめておく」と返信したらその後返信が無かったこと。

とにかく返信が無い。フォローが無い。
だからこっちは気を悪くしたのかな?と、ストレスが溜まる一方。

 

この間アメリカに住んでいるもう一人の学生時代の友達から
「今年の年末に3人の家族でハワイで集まらない?」と、Kちゃんと私宛てにメッセージが来た。
内心冗談じゃない、どこのセレブですか、と思いつつ、やんわりと
「フランスへ行くかもしれないから経済的にも厳しいし、私たちはやめておくね」と返信したところ、案の定そこで会話は終わった。

 

その翌日、Kちゃんから
「こういう条件で半年後くらいに新しくポジションを作るんだけど、興味ある?」
というメールが来た。
それまでは私も仕事に関して中途半端な態度を取っていたので、彼女は常日頃から「あなたができる仕事はいくらでもあるから、いつでも言って!」と言ってくれていた。

 

でも、ムリ。
心の平穏を保つためにも、私はフランス人の中で仕事はしたくない。
とはさすがに言えないので、「経済的に難しいって言ったから仕事紹介してくれてるの?」と冗談を飛ばしたあと、「いろいろ考えたところしばらく仕事をするつもりは無いので、今後仕事の紹介は必要無い」ということだけ伝えた。

「一緒に過ごすために有休を取ろうと思っているから、都合の良い日を教えて」とも言われていたので、今月のNGな日も合わせて送った。

もちろん、それ以来返信は無い。その数日後が、冒頭のバースデーパーティーだった。

 

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自分が過ごした18年間を否定はしたくないから、どこかで心の折り合いがつかなくてずっとモヤモヤしていたんだけど、思い切って否定してみたらものすごくすっきりした。

性格なのか環境なのか、私はフランス語のときと日本語のときで人格が違うのは前から自覚はしていた。

フランス語のときの自分は、10代のコンプレックスや色々な経験が手伝って、あまりしっくりこないし、好きになれなかった。それは今でも変わらない。

昔から日本語で話す自分が最もブレが無い、本当の自分だった。

日本へ戻ってきて、夫と出会って、子供ができて、「フランス語のときの自分」が必要無くなって、今の自分はとても穏やかになったと思う。

Kちゃんが日本へ戻ってきて、接するたびにどこかモヤっとしていたのは、彼女が変わったからではなく、私のアイデンティティーがまたかき乱され始めたせいだということが、一年経ってやっとわかった。

否定はしても18年間フランスで過ごしたことは事実だし、その間にできた友人はとても大切なので、もちろんそのせいで絶交するつもりはない。でも、今なりの距離感を取り直す必要があるので、私も頑なになりすぎず、少しずつ調整していけたらいいなと思う。

 

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Kちゃんにパーティーで撮った写真を送ったら、「来てくれてありがとう、楽しい時間を過ごせたならいけど」と返信が来た。

 

それには、返信していない。