小学校3年生のときに、パリ日本人学校に転校した。
今ではパリ郊外にでっかい校舎ができてるけど、
当時は小学校と中学校が別々の場所にあり、
小学校はエッフェル塔が見えるトロカデロ広場のすぐそばにあった 。
明らかにマンションをそのまま改造した校舎で、教室も校庭も小さかった。
1学年2組ずつで、それぞれのクラスの生徒が30人弱。
当時は、まだまだ規模が小さかった。
おそらくもともと目立ちたがり屋の私は、 小学校生活を謳歌していた。
何かあると真っ先に手を上げ、答えがわからなくても発言し、
5~6人の仲良しグループなんかもいた。
小5のとき、 その仲良しグループからいきなり無視されるようになった。
前日まで一緒に楽しくお弁当を食べていたのに、
その日を境に 全く話してもらえなくなった。
私が「どうしたの?」と話しかけても、誰一人答えてくれなかった。
しばらく1人でお弁当を食べる日が続いた。
学校帰りも1人で、 キャッチボールをしている男子の横に1人でぼーっと立っていたら 、
「お前最近1人だな。
いじめかよ。ひでぇなあ」
と言われて、なんだか客観的に
「そっかぁ、これがいじめかぁ。」
などと思った。
そんな日々が何週間か続いただろうか。
家では母が普通に笑って話しかけてくるので、
私も普通だった。
でも、ある日家へ帰って、母がお弁当箱を洗いながら
「今日のお弁当おいしかった?」と聞いてきたので、
我慢できなくなり号泣してしまった。
仲間はずれにされたグループのすぐ後ろで、
ひとりぼっちで食べるお弁当が、おいしいわけがない。
味なんてわからなかった。
それが申し訳なかった。
母に事情を打ち明けざるを得なかった。
でも私は、「何もしないで。」と、必死にお願いした。
「学校」という、それは小さな、小さな世界に居た私は、
大人が絡んだら余計ややこしくなることを本能的に感じていたので 、
とにかく放っておいてほしかった。
そのうち、担任の熱血先生に職員室に呼ばれた。
「なんで最近1人でお弁当を食べてるんだ」
(母だな。あれだけ言ったのに・・・。)
私は何も答えられなかった。
自分でも、なんでこうなったのか全くわからなかったし、
いつか過ぎることだと思っていたから、
自分でなんとかするから、お願いだからなにもしてくれるな、 と先生も説得した。
熱血先生は、一回授業で
「いじめは絶対に許されることではない」
と言ったような気がするが、その子たちに直接話したりしている気配はなかった。
そして、そのグループは、
ある日突然、私を無視し始めた日のように、
ある日突然、 何も無かったかのようにまた私を仲間に入れ始めた。
そして気がつくと、別の子が仲間外れにされていた。
私はそのグループを離れ、その子と過ごすようになった。
日本のいじめのニュースなどを親が見ていたのを思い出し、
「外国でも日本人同士で集まるといじめが起こるんだ」
と思い、ゾワっとしたのを覚えてる。
それ以来、私は団体行動が苦手になった。
色んなことができると思っても、人前ではあまり積極的に言わないようになった。
人が大勢いる中で、胸を張って自分の意志で1人で居る勇気が欲しい、 と強く思った。
今でも、ふっとその感覚がよみがえるときがある。
5年生の最後、 熱血の担任の先生が1人1人にメッセージカードをくれた。
私のカードには、このようなことが書いてあった。
「困難に1人で立ち向かう姿勢、大人として頭が下がります。
立派な女性になってください。」