For No One

パリ、東京、ニューヨークでの思い出話や日々思うことをつらつらと書いていきます。

Prema

今、私の前には藤井風さんの3枚目のアルバム"Prema"がある。

ふと思ったことがあるので、敢えてまだ聴いていない状態で書こうと思う。

 

私は藤井風さんが大好きだ。

ビートルズが活動している時代を経験することはできなかったけど、

藤井風さんをデビューからフォローできて本当に良かったと思うくらい好き。

 

彼を見ると、彼の音楽に触れると、

色々浄化される。

 

ライブに行ったことはないし、「風民」の一員になるにはほど遠いけど、

ひとまずネットや地上波で彼の姿が拝める機会は逃さないようにしている。

 

藤井風さんの音楽的な才能、技術、積み上げはさることながら、

彼の魅力を爆上げしているのは、そのキャラクターだと思う。

 

史上最高のイントロに心を奪われて、

よく聞いたら歌い出しが

「あんたのその歯にはさまった青さ粉に

触れるべきか否かで少し悩んでる」

だったり、

唯一の冠番組がシソンヌとヒコロヒーとのコント番組だったり、

話すときにいつも恥ずかしそうでクネクネしていたり、

とにかく異質で愛すべき人間性に、みんな惹かれていると思う。

 

そして今日録画していた徹子の部屋を見てつくづく思ったのが、

なんかやっぱり英語のほうがラクそう。

海外で暮らしたことないはずなのに、日本語が上手いアメリカ人が話してるみたい。

 

でもそれは、なんとなくわかる気がする。

私もフランス語よりも英語のほうがラク

なぜかというと、英語はとってもストレートでフラットな言語だから。

老若男女関係ない、敬語ない、方言ない。

余計な気を遣う必要がないから、特に仕事は英語が一番いい。

 

逆に、キャラが出にくい言語でもある。

歌詞もそうなる。

日本語と比べると色々なニュアンスが削がれるから、ある意味個性は出しにくくなる。

 

だから藤井風さんも、英語だと色々照れずに表現できるし、大人っぽくも見えるんじゃないかしら。

 

日本人て、英語で話してると大人っぽく見えたりしませんか?

 

だって日本語で「好き」ってワードだけでも

好きよ、好きなの、好きなんだ、好きなのよ、好きなのさ、好きなんだぜ、好きやねん、好き好き、好きぃ、好き~

 

全てイメージが異なるけど、これが英語だと「I love you」にしかならないわけで。

愛してるとか惚れてるとか入れたら一体何通りあることか。

でもしつこいけど英語では「I love you」にしかならないわけで。

 

宇多田ヒカルさんもEight Jamでこのようなことを言っていて、

だから日本語の歌詞のほうが難しいけど、日本語で歌う必要性みたいのは感じているというようなことを言っていたような気がする。

 

だから何が言いたいかというと、

藤井風さんがこれからも世界に羽ばたくためには英語で歌うのは必然ではあるのだけれど、

日本語ならではのチャーミングさも発信し続けて欲しいので、

日本語の歌も作り続けてくれるといいなぁと思っているわけです。

 

よし、アルバム聴くぞ!

 

イメージ

先日、というか昨日、大好きなショコラティエが監修したスイーツをコンビニで見つけたので嬉しくてSNSに投稿したら、フランス人の友人から「これは彼のイメージに支障がありそう」というコメントが来た。

 
私の中のフランス人が「そうだよね〜」と思うのと同時に、私の中の日本人が「えっ、なんで?全然問題無いけど?」と思ったので、すごくおもしろいなと。
 
確かに一流ショコラティエがフランスのスーパーでケーキを売ったらイメージはガタ落ちだし、フランス人にとって彼は気でも触れたのかというレベルの事件だと思う。
 
でもパリにある彼のお店に足繁く通ったことのある私が彼のスイーツをコンビニで見つけても、それがイメージダウンに繋がるとは全く思わなかった。
 
 
逆に、例えば日本の「とらや」がフランスのスーパーで和菓子を売ったら、日本人はどう思うのか。
 
それはフランスのスーパーに対するイメージによって変わるんだろう。
 
フランス人は、もしとらやを知っていたら、やっぱりイメージダウンだと解釈すると思う。
 
色んな捉え方があるけど、要はコンビニの位置付けによるものなんじゃないかと。
 
フランスにはコンビニチェーンは進出しておらず、小さいスーパー(superette)がかろうじてそれに匹敵する。
四半世紀前の記憶によると、イメージは決して良くなく、しみったれた感じのお店が多かった。
 
フランス人は他に似ているものが無いから、コンビニをそれと比べるしかない。
 
でも実際のところ、日本のコンビニの立ち位置はそれよりもずっと高い。
 
色々なことにおいてそう思うけど、他の国と比べて日本社会は底辺のレベルがすごく高いし、上下の幅も狭い気がする。
 
それによる捉え方の差なのかな、と思った。
 
これはフランスのブランドComptoir des Cotonniersとユニクロのコラボに似ているんじゃないかと思うけど、それもフランス人にとってはイメージダウンなのかもしれない。
繰り返しになるけど、もともと持っているユニクロのイメージによって解釈は異なる。
 
なのでこの2つの意見は私の中に混在したままだけど、スイーツは美味でした。
 
...ていうか国の問題じゃなく、日本人同士でもあり得るよなあとここまで書いて思ったけど、もったいないからアップします。

やーめた

友達は少ないけど、自信を持って「心の友」と呼べる友人が数人いる自分は恵まれていると思う。

 

20年来の友人Mは、日本で生まれ育ち、ずっと自分がほかの人たちと同じだと思っていた。
それなのに、周りになじめなくて、だんだん自分は「周りと違う」のかも、と思いはじめた。
そこから色々考えて経験して、現在に至る。

 

私は、6歳のときにフランスへ行って必然的に「周りと違う」ことを自覚した。
表面的になじんでいても、自分に違和感を覚えていた。
そこから色々考えて経験して、現在に至る。

 

私は日本で育っていれば違ったのに、と思っていた。

 

でも、多分そんなことはなかった。

育った環境の中で芽生えて育まれる感性や価値観はもちろんあるだろうけど、
DNAのように兼ね備えた人間性が占める部分は大きい。

同じ経験をしても、習得するものは人それぞれだし、経験に左右されない価値観を持っていればそんなの関係ない。

 

日本の「群れる」性質になじめなくて、集団に同調するために保身に見えて実は自分を犠牲にすることに拒絶感を覚える、というのは、Mも私も同じだった。

きっと私が日本で育っていても、それは変わらなかったんじゃないかと思う。

あるいは、自分を偽り続けて苦痛な日々を送ることになっていたかもしれない。

 

Mにも、フランス人のママ友にも、「無理する必要は全くない」と言われて、救われた。

 

だから、無駄な時間とエネルギーを費やすの やーめた。

 

大切なものだけ大切にして、進んでいこう。

 

 

ラリーに誘われて~その2

前回の続き。

 

下々の友だちを引き連れ、ラリーの会場へやってきた。

正直、あーんまり覚えていないのだが、天井が吹き抜けになっている広いパーティー会場で、子どもたち(と言っても大学生)は1階のホールでカクテル片手に話したり、踊ったりしていた。

 

そして、シャンパングラスを片手に2階からその様子を見守る?見張る?見下ろす?きらびやかな親たち。

 

こ、こわいよう。

帰りたい。下々の友だちも同じような不安な顔つきだった。

 

でもせっかく来たんだから、一杯くらい飲んでちょっと踊って帰ろう。

 

シャルロットが挨拶にやってきた。

ラリーに入っていないと着ないようなドレスだった。

 

↓こんなの

ひえ~~~~

 

下々の友だちを紹介したら、彼女は彼氏を紹介してくれ、

「ゆっくり楽しんでいってね」と言って彼氏にエスコートされて去っていき、向こうで社交ダンスのようなものを踊っていた。

 

もう一人大学で顔なじみの女の子もいて、その子は大分出来上がった様子でクネクネ踊りながら近づいてきた。

その子は確か相手がいなかった気がするが、欲しくなかっただけかもしれない。

 

その子も60年代のハリウッドから出てきたようなカクテルドレスを着て、長いシガレットホルダーでタバコを吸い、黒いレースを顔に被せていた。

↓こんなの

すげえ。マジか。仮装パーティーじゃなくて本気で着てるのかこれ。

 

見るもの聞くもの全てが別世界で、彼女たちにとってはこれが日常なんだ・・・すごいなぁ。

と思いながら、下々の私たちは数杯飲んでギクシャク踊ってそそくさと帰った気がする。

 

その後シャルロットにラリーに誘われることはなかったが、大学で会うと挨拶はし続けた。

今頃あの彼氏と結婚して家庭を持っているのだろうか。

ラリーに誘われて~その1

熱は2日で下がりました。自宅で検査したところコロナでもなかった。

一体何だったんだろう。休肝日作れ!って言われてたのかな。

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私が通っていた大学はパリ第十大学といって、ナンテールというパリ郊外の町にある。

先日少年が警察に打たれて亡くなって大騒動を巻き起こした事件の現場だ。

大学は電車の駅から徒歩10歩とかで、時間が空いたときにクラスメートと近所のカフェへ行く以外は出歩かなかったのでナンテールのことは全く知らないが、治安があまり良くないことだけは知っている。

 

さておいていいのかわからないがそれはさておき、大学に入ってすぐ、同じ中学の子と再会した。

シャルロットという、落ち着いた感じの子だった。

中学はブルジョワだったので、シャルロットも名前からして由緒正しい家系のお嬢様だった。

不特定多数が通う、治安の悪い町にある大学で会うと、お育ちの良さというか浮世離れっぷりというか、そういうものがよくわかる。

 

お久しぶりねーみたいな感じで会うたびに話すようになり、そのうち「ラリー」というものに誘われた。

これは、中学のときから母も私も噂に聞いていた。

 

なんでも「ラリー」というものは、伝統的には貴族の子どもたちが結婚相手を見つけるために、親が仕切って開催する由緒正しい合同お見合いパーティーらしい。

昔は貴族の子どもたちは家庭教師などが勉強を教えていて、下々の者とは接点が無いまま貴族同士で結婚して子孫を増やしていたのだが、民間の学校へ通うようになったらどの馬の骨ともわからない子と付き合って結婚するリスクが発生した。そうはさせませんことよ!おほほほほ!と、貴族の親たちはネットワークとコネと金を駆使して、自分たちの子どもに最良のパートナーを縄張り内で見つけさせようと企んで始まったシステムということだ(※主観を大分含んでいるので正式な説明ではありません)。

 

社交界、と言えばイメージしやすいかもしれない。

子どもが10歳くらいのときから、成人してしばらくするまで続くらしい。

 

シャルロットに誘われてすぐに母に報告し、なぜ下々の者の代表者である私が招待されたのか2人で頭を抱え込んだ。

部外者枠があるのか?下々枠?なに?見世物?

 

なんにせよパートナーを連れてこいということだったので(下々の私が間違って貴族の息子の目に留まったら一大事だからだろう)、とりあえず彼氏も居ないので高校時代の下々の友だちを誘ったら、彼もめちゃくちゃビビっていた。

 

でも、こんなチャンス滅多にないから行ってみようじゃないか。母もどんなものか知りたくてウズウズしているし。

 

まず、服が無い。

ラリー用の服なんて、下々の者は持っていない。

かといって、ドレスなんて買ったところでもう一生着ないのも目に見えている。

おしゃれさんの母が考えた苦肉の策は、パンツスーツだった。

しかも、黒のベロア。

まぁこれもあまり今後着る機会無いと思うけど、母も私もフェミニン系が苦手なので即決だった。

誘った下々の友だちも、なんとかかんとかネクタイとスーツを見繕っていた。

 

さあ、下々の我々、いざラリーへ行かん!

 

長くなったので続きます。

 

認め合うこと

昨夜から熱があります。去年コロナになったときほどしんどくはないけど、3連休で受診も難しく、明日検査キットを買ってみようかと。

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息子が通っている幼稚園で、1人だけママ友がいる。
フランス人なのだ。
色々省略して、彼女とはカラ友でもある。私はカラオケが結構マニアックに好きなんだけど、彼女も負けてないしびっくりするほど歌が上手で、お互い気を遣わず好きな曲を好きなだけ歌えて最高に楽しい。貴重な友人だ。
 
先日久しぶりに会って歌って、その後ご飯を食べた。
ワインどうしよう、と言ったら「ボトルで頼みましょ?だってグラスで何杯も頼んだらもったいないわ。私それほど飲まないけど」
と言いながら結局私より飲むという、自分の大胆さに気づいていない彼女の性格が私は好きだ。
 
夏休みは、親族が居るカナダへ行くらしい。
私たちはこれといった旅行はせず、日帰りで出かけるくらいかなあ。
正直私は子供の頃から動き過ぎて、もう旅行には疲れてしまっているところがある。荷造りして、移動して、帰ってから荷解きして洗濯して…と考えただけでウンザリするのだ。
 
「わかるわ、私も移動は好きじゃない。娘を親族に会わせたいから行くけど、ほんとにどこでもドアが欲しい」
 
うん、実はフランスもあまり行く気がしなくて。今親が住んでいる街は私が育ったところじゃないし、田舎町で遠いし、これといって息子が喜びそうなものがあるわけでもないし…。正直自分がフランスが合わなくて出てきたから、特に息子に見せたいわけではなくて。
 
こんな風に人に話したのは初めてかもしれない。「フランスに家族がいるなんて、行かなきゃ損でしょ!」みたいな偏見に縛られていた。
 
でも、彼女にはなぜかするっと本音で話せて自分でも驚いてしまった。
 
「そうだったのね。そりゃ何の思い入れも無い町なんて息子に見せても仕方ないわよ。それに、あなたにとってフランスは過去であって、今は違う人生を送ってるんだから無理して戻ることもないし、息子は大人になってから興味があれば自分で行けばいいのよ。よくわかるわ。」
 
誰かに肯定されると思ってもいなかったことをすんなりされると、面食らう。
 
でも、そうだ。
私にとってフランスは過去で、終わったことだからもういいんだ。
 
誰かに心の底から理解されるのは、進んでいく糧になる。
 
私も誰かのそういう存在になれているだろうか。
 
ありのままの自分を認められることの尊さを、熱と共にかみしめています。

 

ビズの話~フランスの挨拶~

ちょっと重い話が続いたので、久しぶりにフランスの思い出話を。

 

フランスでは、挨拶のときにキスをする。

キスと言っても唇をつけるわけではなく、ほっぺとほっぺを合わせながら口で「チュッ」と音を出す感じ。

パリでは通常2回、左右行っていた。

Bise(複数形はBises)=ビーズ、あるいは

Bisou(複数形はBisous)=ビズ という。

仲が良い人に手紙やメールを書くときに、文末に書いたりもする。

 

どのくらいの範囲の人とBisesをするのかというと、

友だちはもちろん、友だちの友だち。

友だちの親族。

親族の友だち。

とにかく少しでも接点があれば(例えばそれが「同じパーティー会場に居る」というだけでも)、挨拶のときに頬と頬を触れ合う。

 

冬は静電気でバチッとくるので、要注意だ。

夏は夏でお互い「ベタベタしててごめんね」と言い合いながらチュッチュとする。

会ったときと、別れるときにする。

 

地域によっては3回とか4回のところがあるので、2回で済ませようとすると

「うちでは3回だから」と言ってもう1回させられたりする。

こんなとき、意見が通るのはいつも回数が多い地域の人なのはなぜだろう。

 

多感な中学生や高校生のときは、同じクラスに好きな子がいる場合毎日すごい接近できることになる。ドキドキだ。

 

たまに左右どちらから始めるかタイミングが合わなくて「おっおっ」となることもある。

 

私はこの習慣がどちらかというと好きだ。

 

友だちのすべすべのほっぺと香水の匂い。

おばあちゃんのしわしわでやわらかいほっぺとおしろいの匂い。

おじちゃんのヒゲがチクチクするほっぺとタバコの匂い。

こどものツルツルでぷにぷにのほっぺと甘い匂い。

 

相手の頬の感触や香りや温度を自分の頬で知るというのは、何の役に立つか知らないけどなんだか心が豊かになるような気がする。

話しやすくなるような気がする。

NYではキスではなくハグだったけど、挨拶のときに何かしらボディコンタクトがあるほうが健全な気がするのです。

日本は逆にちょっとでも触れるとセクハラだの下心だのという話になるし、「私、海外生活長いんで抱きつきま~す!」みたいな雰囲気を出さなきゃいけないのがちょっと面倒だし、そういうことじゃないんだよね~…。

 

文化の違い。その一言に尽きる。

 

ちなみに親子では、普通に唇を頬につけてキスをする。

朝起きたとき。学校へ行くとき。寝るとき。

 

パリ日本人学校に通っていたとき、父が毎朝車で送ってくれていて、

私はいつも父のほっぺにチュッとして車から降りていた。

それを他の子たちに見られていたらしく、私は全く気にならなかったんだけど父のほうから「ちょっと恥ずかしいからやめよう」と言われたことがある。

なんじゃい。それでもフランス永住を決めた男か!

 

そんな親とは、この歳になっても会うとキスをする。

息子はいつまでさせてくれるかなー。