For No One

パリ、東京、ニューヨークでの思い出話や日々思うことをつらつらと書いていきます。

コロナ覚書

私は6歳のときから18年間フランスで育ち、両親はまだフランスのディジョンというブルゴーニュ地方の町に住んでいる。

母の妹はもっと前からニューヨーク在住で、アメリカ人と結婚して今はニュージャージーに住んでいる。

私も2007年から4年間、仕事でニューヨークに住んでいる。

 

このコロナウイルスの感染が始まったときは、欧米は蚊帳の外で、最初にトイレットペーパーや生理用品が品薄になったときは母親にフランスから送ろうか?と言われたほどだった。

2月には叔母夫婦が日本へ来て、慣れないマスクをして電車に乗ってうちへ遊びに来て、息子との初対面を喜んでいた。

それがものの2ヶ月で、アメリカの感染者は50万人を超え、フランスも12万人を超えている。両国とも完全封鎖、フランスでは外出する際国が発行する外出許可証を持っていないと2万円近い罰金を取られる。NYではこの3週間、5分おきに救急車のサイレンが鳴り響いている。

日本はというと、数字上では6300人とあるが検査の数が少ないだけだ。

昨日やっと非常事態宣言が東京を含む7都府県でおりたけど、町の商店街は居酒屋がテイクアウトを始めたくらいで、そーしゃるでぃすたんすってなんですか?英語わかんなーい、ってなもんで本当に泣きたくなるくらい、あるいはマスク無しでタピオカ飲んでる若者たちやきったねぇ咳をしまくっているオッサンたちの胸ぐらを掴んで殴り倒してやりたくなるほど全く危機感が無い。

 

欧米がこんなにやられる前は、日本人はもともとハグとかキスとかしないしマスクもするし手洗いうがいするし従順だし、そこまで広まるとは思っていなかった。

先に封鎖されたフランスに居る両親の話を聞いていて心の準備はできていたけど、日本でも感染拡大が冗談じゃないレベルになったときの日本人の反応は、正直意外だった。

初めて外出自粛が宣言された週末、みんな普通に公園でビールサーバーなんて持ち込んでどんちゃん騒ぎをしていた。

今でも、スーパーのレジではみんな息がかかるほどの距離で前後に並ぼうとする。

買い物かごを後ろに置いて距離を取ろうとすると、舌打ちしながらかごを蹴られたりする。

道を歩いていても、平気で服が擦れ合うくらいの距離ですれ違おうとする。

SNSを見ても、テレワークができない人たち(いや、わかるよできないのは。でもやろうとしてないだけの人がいるのもわかってるよ)が詳細を知りもしないのに政治家の揚げ足を取っていたり、この間まで「ライブやります!みんな気をつけて来てね!」って豪語してた人たちが、キャンセルをやむなくされた途端に「若者たち、もっと意識しよーよ!!この国どうなってんのよー!」と手のひらを返したように「よく見える」流れに乗ってるだけなのが見え見えな投稿をしている。デマに踊らされて買い溜めする典型的なひとたち。結局は自分で判断できず、国が言うことに右ならえな人たち。

で、このまま続けるとみんな嫌いになっちゃいそうなので(もう遅いかも)、しばらくFacebookはためになると思う記事をシェアするだけにして、そういう人と私が判断した人たちの投稿は隠して読まないことにした。

私も含め、人の知識なんて断片的にしか得られない。それで偉そうに国を批判したりするのは、私も当初そうだったからこそ未熟な行為だな、と思う。

とりあえずわかったことは、消化されていない怒りのままに書くことは人の心を動かすどころか閉ざしてしまうし、煩わしいだけだということ。

怒るのは、いいと思う。日々ムカつくことだらけだもんね。

でもその気持ちを発信するのは、一旦頭を冷やしてその怒りを客観的に見られるようになってからじゃないと、絶対に伝わらない。

伝わるとしたら、もともと同じ怒りを持っていて理性的に物事を捉えることができず、仲間を見つけて喜んでいるだけだと思う。

群れの中に居ないと不安。自分ではそう思っていなくても、やっぱり日本人のDNAの中には確実にある。それから逃れるには、身を引きちぎられたりアイデンティティーをかき乱されるようなような経験を何回もしていないと無理だと思うから、仕方ない。

 

なんかとりとめなくなってしまったけど、とにかく現時点でこの状況に関しては非常に悲観的に受け止めているし、おさまるまで数年続くと思う(ワクチンが開発されて世界中でインフルのワクチンくらい広まるまで続くと思う)し、本当に落ち着くまで国には経済がどうなったとしても、自粛を訴え続けて欲しい。